2015年1月7日水曜日

blog:ひっこしのお知らせ

時を経て、tokyoにもukにも住んでいなくなりましたので、新しくつくりました。本年もどうぞよろしくお願いします。

http://daphneantiquesjournal.blogspot.de


2013年10月3日木曜日

パリから東京から




また再び、ロンドンに。

今年の5月から東京で生活を始めるはずが、巡りに巡ってまたここに。本当、何が起きるかわからない。

2年前の時と同じく、緊張しながら何度も何度もビザセンターへ持って行く書類を確認しては深呼吸を繰り返し、思っていた以上にあっさりと事は進んだけれど、戻って来て3ヶ月目の今日もまた、ロンドンにいる自分に少しおどろく。こんな選択肢は2年前には全然なかったから。



今年の4月の末に日本へ帰る道すがら、姉の住むパリへ立ち寄った。パリがどうとか言うより、姉の生活とバイタリティーばかりが印象に残った。エレベーターなし螺旋階段の8階、屋根裏部屋的なところに暮らし朝から晩まで本当よく働く。休みの日は、着付けが出来る限界の大きさの部屋で、着物を着込んでボランティアへ出かける。そして不治の忘れん坊の姉さんは、8階から1階までぐるぐる降りたあと(降りるのも疲れる)忘れ物に気づいてまた、ぐるぐる上がって行く。

お人好しだからたまに騙されたり盗まれたりもしていた。その上部屋も狭いし、何もないし、ベッドがありえなくしなって腰が痛いのだけど、姉は‘ハンモックみたいで快適だよ。なくした物は、最初からなかったことにする。’と、とても生活に満足している風だった。姉さんはどこでも生きていける、それを確信したパリ。


5月は2年弱ぶりの日本へ。成田空港の売店で飴を買い「ありがとうございます」と頭を下げてもらったことに、おおーと違和感と感動。この2年間お客の立場としては、神様でも何でもなく、ただの人間でしかなかった様な気がする。頼んでも怒っても一向に修理しない業者だったり、何かを説明しながらあくびをする販売員だったり、お皿を割ったってジョークをとばすウェイターだとか、担当者はホリデー中なので知りませんみたいな回答とか、そんなことがあまりに日常茶飯事で、むしろこれを人間らしくていい様にも思えてきたところ。働く立場になった時は、この適当さがとても快適だった。

日本の道路の滑らかさ、公衆トイレのきれいさ、手軽にありつけるおいしいもの、たった2年間離れていただけなのに色々なことにとても感動した。すごい国。


それにしても、人は変われるのだろうけど、なかなか難しいもので相変わらず地味な生活を送っている。毎日学校に行って勉強をして、曇り空の下黙々と歩いたり、図書館でやることリストを作成したり、家に帰っては明日のお弁当をこしらえたり。秋をとばして冬がはじまりかけている空気も、さらに私を静かな日常に向かわせつつ。それでも、またロンドンにいることがうれしい。

日本滞在があっという間で、連絡できなかったり会えなかったひと、次回は必ず。もしくはこちらで。


‘雨ニモマケズ’ 宮沢賢治

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしはなりたい


2013年2月16日土曜日

Listen to no noise




昨年の4月からロンドンに出て来て、何ひとつ発信することなく、もう2月。早い。焦るひまもないくらい。

便りがない間も、私は元気にしています。


働いたり勉強したり怠けたりすることに、とにかく時間がもっと欲しい。そう思いながらもロンドンのゆるさの中にいると、足りないくらいがちょうどいい様な気もしてくる。結局のところ、いつもあれこれしたくてうずうずしているのは変わることなく。

ほとんど天気の優れない街で、太陽や青空が見られる日は、もうこの上ない嬉しさを感じる。だからこの天気の気まぐれさ、結構きらいではないの。


先日、働いているお店が突然の終日停電に見舞われ、一日中暗闇の中にロウソクを灯しての勤務。地下のトリートメントルーム、外の光漏れる隙間なく。音楽も、お湯も、暖房も、何もなく、電話も通じず、やや壁をつたいながら歩くような。

このような状況で涼しいかおして営業するところに少し感心するのと、真っ暗闇にぼんやりと受付人が座っているような薄気味悪いお店にも、ありがたいことにご来店される方々がいて。

ゆらゆらした小さい火だけを頼りに黙々と施術。自分の靴と床が擦れる音とか、服が伸縮する音とか、お客さんの呼吸とか、なんだかすごく無駄のない静けさが、わりと心地良く、色々足りていないのに集中力ばかり高まるひと時。


本当に必要なものはそんなに多くないな、そう思うことが増えた気がする。ここにいる時間が限られたものだからか、余裕のある生活をしていないからか、多分両方なのだけど、今の生活は大事なものだけを選んでいる。寿命という見方をすれば、日本にいる時間も同じように、ただ一日一日が減っていくものなのに。

色々考えなければならないことが山積み。もう成り行きに任せるふりして、面倒なことは避けたい。けれど、諦めるのはやっぱり納得がいかない。

「本気でやってできないことはないはず、やればできるはず、できなかった時の言い訳を考えないように。」こんなことを頭の中で何度も反芻しては、気をぐっと引き締め直している。

 Listen to no noise by Selfridge

2012年6月7日木曜日

Good bye from Grumpy old man.




3月25日、サマータイムのはじまり。今回もまた「時計すすめるのだっけ、もどすのだっけ、わけわからない習慣よねえ」なんてイギリス人も笑っていて。暖かくなって、陽が長くなってきた島はほんとに楽園。海がきらきらして、芝生がものすごく緑で、道行く人たちがアイスクリーム片手で、すべてが息を吹き返したように美しいの。






そんな中、私は4月からロンドンで生活することに。


島を去ること、後悔はしなくともやっぱりさみしい。8ヶ月間、数字にすれば長くないけれど、もうこれ以上はできない程に一生懸命過ごした気がする。毎日毎日、飛び交う英語に必死に耳を傾けて神経すり減らし、へとへとのぼろぼろ。部屋に帰ると靴も脱がずにベッドに倒れこんだり、夜中に‘どうしてこんなに、あほなんだろう’て不安で目が覚めて急に勉強をはじめたり、がんばれと言われても無理するなと言われても、なんだか苦しかった。


人の多い東京の片隅でぽつんと過ごすことにすっかり慣れて、むしろそれが快適で、でもそれは都会の多くの人たちが同じと、知っていたからな気がする。


島の人たちがここをだいすきなところが、本当にすきだったな。愛されると人も土地もほんとにかわいくなる。ここで生まれて育ってここで最期を迎える、施設の老人はほとんどがそうだったけれど、毎日みんな海や空を眺めてはうれしそうな顔。「いいところですね」て言うと、「そうでしょう」とにっこりするの。


ひとつひとつの町のコミュニティーは小さくて、とにかくどこに行っても誰かに会った。スーパーでバナナを買ってるときとか、雨やどりしてるときとか、ちょっと太って走ってるときとか、バスに乗るたび、農場脇を歩いてたって知ってる車がプーと鳴らして通り過ぎたりする。施設のばあちゃんの孫が近所のスーパーのレジ係りだったり、スタッフの家族だったり、バスの乗客が運転手の家族だったり。

はじめのうちは、この距離感がすごく苦手で窮屈に感じて、何度となく逃げたい気持ちに。誰にも遭遇したくないのにさみしいし、出会いたいけど、ひとりになりたい。もうわけがわからない。もはやその辺りの牛や羊の群れとかアヒルの行進とか見ては、仲間がいていいなと思って。豊かな自然と密接な人々の関わりの中で、強烈にひとりぼっち。

たまらなく孤独なのに、いつも全然平気なふりをして。「自分で決めたこと」そう思うと誰にも頼れない気がして、それがさらに一人を実感させたけど、本当はもっと周りに甘えたり弱さを見せてもよかったと、今になって思う。シンプルに生きること、簡単なはずなのに難しい。


それでも、だんだんと町中で知っている背中を見つけるとうれしくなる自分がいて。「大丈夫」て答えてるのに、ぎゅうっとハグしてくれる島のひとたちのストレートなやさしさや、雨が降ると虹を期待したり、無限大の星空から目が離せなかったり、シンプルな島の美しさにいつもいつも救われたよ。

施設のおじいちゃんばあちゃんには尊敬の気持ちでいっぱい。どんなときも無条件で優しかった。言葉が通じなくても、それ故失敗しても「大丈夫。もし私があなただったら、大変だと思うもの」ていつも深い愛情で溢れてたよ。

耳が聴こえない、目が見えない、話せない、判断ができない、歩けない、老齢による障害は色々ある。私、島で初めて介護の現場に入ったとき、呼吸以外は自力で全く動くことができず、そしてその状態を判断することもできないご老人を見て「生きるて何だろう..」と漠然と考えたり、もっと正直に言えば、「生きたいと、思っているのかな」と、冷たい見方かもしれないけれど、本当にそんな気持ちになったの。

それでも毎日毎日生活のお手伝いをしていると、ご老人の小さな反応から、うれしそうとか、かなしそうとか、くやしいのね、とか感情を読めるようになっていって、ものすごく一生懸命生きてることにとても感動を覚えたし、人間てこんなにも愛しい、そんなこと本気で思うようになって。

どんなひとでも、家族が会いにくると本当にうれしそうな顔してたよ。


そして、いつかの頑固じいさんはGoogle翻訳を駆使して、

「あなたは 私が会った 日本人の中で 唯一 去ることがさみしい 日本人の女の子」

この言葉とともに、‘My history’と証した70数年じいさんが書き溜めた自伝をくれて。もう簡単には読みきれないくらい細かく、丁寧にまとめられたじいさんの歴史。

どこで生まれて、どこの学校に通って、いつどの車を買って、仕事で行った多くの国々、役職、それから病気になったこと、それで家を売りに出したこと、そして今は施設にいて、自分の片手だけを頼りに生活することになってしまったと、長い長い人生の記録。

それ見てたら、なんだかわからないけれど、ものすごく泣けてきて仕方なかった。本当に当たり前だけど、今は寝たきりのご老人たちも、今の私と同じような葛藤とかよろこびとか青春を経験をしてきたこと、忘れてはいけないなと、痛いほど感じたよ。

‘But I can feel.’
耳の聴こえないおばあちゃんが言った「私、感じることはできるのよ」て言葉、すごく印象に残ってる。

誰でもつらい思いはしたくないし、さみしさも味わいたくないけど、でも経験すれば人の痛みが想像しやすくなる。無駄なことは、何もないの。島で、人はことごとくひとりだけど、でも決してひとりでは生きていけないと学んだ気がするよ。



島を去る最後の一ヶ月間、がむしゃらに過ごしてたご褒美かと思うくらい、たくさんの楽しいひとたちに会えて、本当に最高でした!また行きたい、会いたい人たちがいる、そんな場所が増えたうれしさ引き連れ、ロンドンでも自分らしく過ごそう。遊びに来てね!





2012年2月22日水曜日

Japan's Tsunami Caught on Camera

冬の港。朝7時もまっくら...
一体、いつ一月が終わり、二月が始まり、バレンタインデーも過ぎたの....

本当に暗くて長いイギリスの冬。まっくらな朝に、霜の降りた草の上をひたすらにしゃくしゃく悶々しゃくしゃくしてたら、もう二月まで終わろうとしている。そして最近やっと、日が延びてきたと同時に、沸々と、あれもやらなきゃ..これもだ....あと...そうだ、動こう!!と、旧正月に合わせてスタートダッシュをきった。

でてきた朝陽

もうすぐ東日本大震災から一年。地震発生当時は東京に居て、今はこうして海外にいる。

こういった立場で、震災の話題に触れること自体がとてもおこがましい気持ちであるけれど、「イギリスにおける日本の震災に関する報道」を、情報としてお伝えします。

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3月11日午後2:46 東日本大震災/英国の新聞・雑誌 各社が表紙一面で報道

THE SPECTATOR 19.3.2011
‘被害の甚大さにもかかわらず、日本から見えてくるものは絶望ではなく、驚異的な平静さである’‘津波被害を受けた日本の人々より、原発問題に関心を寄せる諸外国の方がヒステリックな反応を示している’

THE ECONOMIST 19.3.2011
‘(日本人は)驚くほどたくましい’‘日本人の本災害における反応に対して世界から尊敬の目が向けられることで、日本がこれまで最も必要としていた自信を回復させるかもしれない’

THE INDEPENDENT 16.3.2011/13.3.2011
‘根性’(漢字一面表紙)
‘がんばれ、日本。がんばれ、東北。’(日本語で表紙面表示)

DAILY MIRROR 18.3.2011
‘日本、みなさんは一人じゃない’(日本語で表紙面表示)

THE SUN 12.3.2011
‘幸運である私たちは、お見舞いの言葉を送る以上のことを、日本に対して提供するべきだ’

THE DAILY TELEGRAPH 14.3.2011
‘(これまでの日英関係では色々あったが)これらの歴史をどのように見ようとも、日本に対するあらゆる助けが求められていることは間違いない’

THE TIMES 14.3.2011
‘困難なときこそ団結するのが日本社会である。日本の政治家たちは、日本の友人たちの協力を得るのに十分なだけの決断力と慈愛を見せた’

他多数、THE OBSERVER,THE METRO,DAILY MAIL,THE WEEK,NEW STATESMAN...
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各国での日本の震災報道が減ってきたとはいえ、2月19日のTHE SUNDAY TIMESでは中一面で復興状況における記事が掲載されていた。

私は去年、友達の結婚式で4月にグアムへ、5月にハワイへ、そして7月にイギリスへと渡ったわけだけど、どこの国に行っても現地の方から震災に関して言葉を頂いたし、どこの国でも在外邦人・現地人の方々のチャリティー活動を目にした。そして現在、イギリスの小さい島で生活し尚且つ震災から一年経とうとしている今でも、日本から来た私に「震災は...」と思いやりのある言葉をかけてくれる外国人が多いことに、正直おどろいているし、頭が上がらない。

今まで、なんて多くのことを他人事の様に考えてきたのだろ。今の私は、どこの国の誰に会っても、自分がかけてもらった様な言葉は決して出てこないな、何も知らなさすぎる。こういった環境になって初めて、新宿を練り歩いていた沖縄基地に関するデモ行進だとか、国連大学の前で何かを必死に訴えていた外国人の方々とか、そこを無表情の無関心で通り過ぎていた自分がフラッシュバックしている。

それでもって去年の八月にロンドン各地等で起きた大暴動についても、私はイギリスにいたにもかかわらず、日本の家族や友達からの「大丈夫?」という連絡で知った。


どこかの国の誰かに、一声かけられるくらいの知識はほしい。それが何かしら物の見方を変えていく入り口になるのかな、と思う。



イギリスで何度も何度も再放送?されている東日本大震災のドキュメンタリー。日本語/英語。ここで、漁師の妻と娘が「津波があって、船が流されて、それでも海がすきで、次の船も予約した」と話す姿が忘れられない..




2011年12月31日土曜日

暖炉に波の音New Year's Eve.



大晦日、こちらは日本より9時間遅れで2012年を迎えます。今日の今日まで駆け足で来てしまい、こんなに年の暮れる実感がないのは、はじめて。

去年、「イギリスに行く!」とほんとのほんとに決断、今年の正月からVISAやら何やら必死に用意をしつつ、それでも不安な心と鈍る決心と隣りあわせできて。それほど日本での生活はなんだかんだ恵まれてて、楽しすぎる!と感じる度に、わざわざ今の環境から抜け出す必要ある?と何度も思った。


こちらでの生活を振り返って、楽しかったことを思い出そうとしても「辛かったなぁ...」という気持ちが真っ先に出てくる。どれだけ苦労知らずに生きてきたのか...けれど、どんなにみじめな思いをしても‘日本へ帰りたい...’と、一秒たりとも考えなかった。ホームシックになる余裕さえなかったと言えるけど、むしろ、こんな根性なしのままで国に帰れますか....と武士みたく、じりじりと前に進んできたよ。


島に来て働き始めたとき、とにかく自分のことしか考えられず誰にも感謝できず心やさぐれすぎて、正直、仕事から帰ったら壁に暴言ばっかり吐いてたな...自分で望んで手に入れた環境てことをすっかり忘れて、外国人て扱いに苦しみながらも、外国人だから甘やかしてほしいとどこかで思っていたし、受け入れて欲しいのに近づき方が全然わからなくて。

そういうとき、とある出来事に遭遇。

働いてる施設に、いつもいっつも頑固なじいさんがいて、私が何をしても気に食わない様子。「中国人だか日本人だか知らないけど...」て怪訝な顔して、私の動きを見てる。じいさんは半身麻痺で色々と手助けが必要なのだけど、じいさんの汚れてるメガネを拭いたら「そんなこと頼んでない!触るな!」と怒鳴られるし、落ちてるものを渡しても「やめろ!」て怒鳴られるし、まるで私に信用なし。私が部屋に行けば「おまえか....」て顔。何をしても、だめ。

そんなある日、じいさんの部屋へ行くと「立つから、支えて」と言う。けれど私じいさんが自力で立ったとこ見たことない、転倒したら大変だし、もちろん働き始めたばかりのヒヨッコな私にそれを許可する権限なく、「ではボスに確認してくるので、お待ちを!」て確認した結果、‘だめ’との事。

「だめだそうです。」そう伝えたの。

そしたら、じいさんの顔どんどんくしゃくしゃになって、目からぼろぼろぼろぼろと涙が溢れ出て、もう止まらない。「?!」って動揺する私をよそに、じいさんの嗚咽は部屋の外に聞こえる程大きくなって、わんわん大声で泣いて。じいさん、「なんで、なんで、動物みたいだ.....」てしゃくりあげて、やっぱり私に「もういい!でてけ!はやく消えろ!」て。

だけど私、涙も鼻水も自分で拭けないじいさん見たら、なんだか出て行けずにいて。悔しい気持ち、よくわかったから。彼の部屋の壁にある数々の勲章とか、高齢なのにヘッドフォンは絶対BOSEだし、ジュースは100%以外飲まない、「老人ホームの布団なんか使えるか!」て、ひとりだけ自前のシルク100%の布団で寝てる、他の老人と絡もうとせず、ずっと部屋にいる。じいさん今でも威厳があるし、きっと立派な方だったの。少なくとも、簡単に人から「だめ」て言われる人ではなかったと。



その頃の私も、役立たずすぎる自分にうんざりしてて。仕事で「便秘の人に下剤用意してね!」とか、何か指示がある度‘便秘’も‘下剤’も単語がわからないから、全然話が通じない。「あの人お風呂に入れといてね!」と言われても、耳の聞こえない人をどうやって風呂に入れればいいかわからない。毎時間の様に「なんでできないの..」「通じないもんね...」「あなたに頼むより、自分でやった方が早いわ...」と、人が私に困る顔も溜息つく顔もたくさん見て、みんながすっごい忙しそうにしてるのに、ひとりだけぽつん...。今考えれば、従業員は働きに来てるわけで、私に英語を教えに来てるわけではないし、理解できる部分が多くあるけど、その時はあまりの疎外感に、‘別に...いいし’って背を向けて、そして部屋に帰っては壁にぶつぶつ....

ほんとは、別によくないから苦しかったのだけど。

だから、じいさんの止まらぬ涙をふきふきしたり鼻をふきつつ、ものすごいおろおろしながら必死で....ばか英語で話したとも。

‘I want to help you but I can't but I want...I know you..your mind?are you ok?you are ok...I'm sorry I can't help you but I want myself? 私は手助けしたいけど でも できなくて でもしたくて、わかるよわかる、じいさんの気持ち...大丈夫?だ、大丈夫!ごめんなさい、できなくて。したいけど....ね?’みたいな、とにかく恥ずかしいくらい棒読みのばか英語で.......もちろん無視されつつススーと退室...

私がじいさんに怒鳴られたとき、他のスタッフが言ってた。「あの人、いつもあなたに怒ってるわけじゃなくて、自分に怒ってるの。」と。メガネを人に拭いて貰わなきゃならない自分、誰かに手伝ってもらわなければならない自分に腹が立って仕方ないのだと。わかる...私も、役立たずの自分が本当受け入れられないあまり、環境に文句ばっか言ってたから。


そして数日経ってね、何事も知らーぬ顔でまたじいさんの部屋でひとり作業してたら、じいさんが、頑固じいさんが、いきなし、

「A RI GA TO.NOBU-SAN 」て............アリガトノブサン...............言ったの、日本語で....日本語で........!!!!!

じじい.....愛しすぎる......ぐっときて、響いて仕方なかった。そして、私の名前入りの、日本のことが書かれた新聞記事の切抜きをくれて。じいさん、震える片手でこれ切り抜いて、名前を書いてくれたの?と思うと、もうなんだか胸にこみあげるものが....

こういう瞬間が、いつも私を助けてくれたなぁと思います。



あれから5ヶ月!どうにか働いてる。じいさんも歩く練習をはじめた!「やるねぇ」て言うと、「ふん、私は賢いからな」なんて相変わらず言う。でも一歩一歩進みながら‘I'm really impressed..感動してるよ...’とぽつり。じじい....

何かを手に入れては、また浮かぶ不安の中で、ずっと楽しいことを探すんだろうな。よくばりすぎて、もう死ぬ間際まで‘スカイダイビングすればよかった..’とか言うのかも。2012はもっと、余裕ができるといいです。がんばろ。

HAPPY NEW YEAR2012!



2011年12月30日金曜日

Very Merry England!



はじめてのクリスマス@UKは、施設で働いて過ごしました。

もう朝から、まるで年が明けたのか、世紀を越えたのかという、浮き足立った空気。朝6時に起きて、身支度して、職場に行くと‘メリークリスマス、マイラブ!!!!!’‘ハローマイスイートハート!!!!!’とキスもハグも飛び交うテンション...

クリスマスは従業員も制服禁止。みんなおしゃれして、となかいの被り物だったり、サンタの靴下だったり、チカチカと電光のピアスだったり。笑顔いっぱい。働く前から「クリスマスの朝に乾杯!」などと、誰かが持ってきた白ワインをみんなで飲み干す。

♪ラストクリスマスやクリスマスキャロルも、からだが勝手に踊ってしまうくらい陽気に流れているの。クリスマスソングて、なんていいの!

おじいちゃんばあちゃんもまた、「今日は赤を着る!」「今日はスカーフを巻く!」「パヒューム!」て、おしゃれの気合いもいつも以上。クリスマスは彼らの家族もたくさんたくさん会いに来て、とにかくハッピーで溢れていたよ。

各部屋も大きなサンタ用のくつしたとか、きれいなおかしとか、かわいいクリスマスカードとプレゼントで埋め尽くされて。ダイニングルームもクリスマスモード、テーブルの上にはクラッカー。この日のおじいちゃんばあちゃんのランチはコースメニュー、メロンとオレンジの盛り合わせから始まるところがすき....窓の向こう側は一面海!


「手間をかけるセンス」て、本当大切ね。ロンドンでホームステイをしたところのママが、「飲み物ありますか」て言うと、庭にキャンドルをいっこいっこつけてからそこに紅茶を用意してくれたり、「あの本みせてください」と言うと、本とともにワインとチーズとチョコを添えてくれたり、そういうセンスが心をぽっとさせて仕方ない。


何と戦っているのだかわからないけど、まけないまけない!て日々とにかく余裕のない私に、やさしいメッセージいっぱいのカードが届いてもうほんと感動したよ、何回も見て飾って見て飾って。

イギリスのクリスマス、誰もがやさしかった。